私は、眼内レンズ手術の専門家です。眼内レンズで治す病気は、白内障と近視・乱視などの屈折異常です。勿論、眼内レンズの入っている眼に、更に屈折矯正をすることもあります。さて、今日は、この内の主に近視を治す屈折矯正手術の方面での苦言です。苦言と言いましても、主に同業である一部の眼科医に向けてです。
少し話は逸れますが、かつて(昭和の頃)、欧米人が漫画に描く日本人は、たいてい眼鏡を掛けていました。東洋人には近視が多いと言う事もありますが、欧米人が、眼鏡を掛けることの不便さとビジュアルを嫌うのに対し、当時の日本人は、眼鏡を掛けることを煩わしいと思わない傾向があったので、来日したときなどに眼鏡を掛けている人があまりに多いことが、とても印象的だったのでしょう。その頃欧米では既に、コンタクトレンズが普及していたのです。しかしその後、日本でもコンタクトレンズまでは広く普及し、若い女性で眼鏡を掛けている人はあまり見かけなくなりました。
ここで、「コンタクトレンズまでは」とおかしな表現をしたのは、その間、既に欧米は勿論、韓国など他のアジア諸国でも、LASIKを中心に屈折矯正手術が普及していたのですが、これがまた、日本だけは普及が非常に遅れたのです。
その頃既に日本の眼科手術の技術は、他国に比べて極めて高く、白内障手術では世界をリードしていたのですが、ことLASIKに関しては「病気でも無いのに、親にもらった身体を傷つけたら、罰が当たる」という、宗教観に近い日本人独特の価値観や国民性が、手術で近視を治すという技術革新にブレーキを掛けていたのです。
その後、世代も変わり、日本でもLASIKが広く普及したことは皆さんご存じのところかと思います。平成20年には、年間45万件の手術が国内で行われました。しかし,それをピークに平成26年には1割の5万件に激減することになります。理由は、当時のたった一カ所のクリニックで起きた集団感染です。この頃欧米でもLASIK人気が落ちていたのですが、それはリーマンショック:単なる不景気が理由で、日本のこの落ち込みだけは異常でした。やはり、先の国民性が根強く、そこに、そのような事件が1つ起きると「そら見たことか」と、せっかく世界に追いついた価値観が、また元の木阿弥になってしまったのです。
それからまた数年、世間からこの記憶が薄れ、その間にICLという真打ちが登場し、そこに、今の人気タレントが手術経験をSNS発信するなどして、ようやく、屈折矯正手術を巡る健常な社会が醸成され始めています。
しかし、そんな2023年に入っても未だ、表題のような恥ずかしい間違いを,平気で患者さんに宣う眼科医がいるのも,残念ですが現実です。更に最近は、インターネット上にも、(自称)医師による、ICL手術に否定的な書き込みも散見されます。自らの不勉強を露呈しているだけのこの様な説明をしてしまう背景には、「自分の出来ないことを、自分より若い医者がやっている」事がおもしろくないという心理、「同じ眼科医として、自分は見たこともやったこともない劣等感」を患者さんや一般の人に悟られたくない照れ隠し、保険診療以外の医療は悪だという先入観から抜けられない、など様々な理由があるとは思いますが、患者さんが最初に受診する医師の言葉は、場合によってはその人の人生を左右します。是非、言葉に責任を持つようお願いしたいものです。近視大国と呼ばれる日本で眼科医をやっていながら、その近視が手術で治ったときの患者さんの喜びを知らないと言うのは、むしろ、眼科医として何かが欠落していると断言できます。きちっと学んで手技を確立した手術が、世界中で何百万人もの人に福音をもたらしている、その技術を否定するのなら、堂々と学会の表舞台で、皆に根拠を示せば良いことです。
そう言えば私が医者になりたての頃、医局のある上司から、「LASIKなんて、ぜったいやっちゃダメだ。近視は自然な体の変化。これにメスを入れるなんて、天に向かって唾を吐いてるようなものだ」と聞かされたのを今でも覚えています。後から思うと、当時その上司は、教授職を巡って争うであろうライバルがLASIKを専門の一つにしていたので、若い医局員に、そのような刷り込みをしていたのでしょう。当時から生意気だった私は「そうかなぁ?」と鼻白んで聞いていましたが、今となっては、素直な研修医じゃなくてよかったと思います。